返り血を浴びた塩村あやか都議

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 銀座のクラブで遊んだのから、外遊報告書をコピペしたとまで暴露され、そのうえ生卵までぶつけられ、ひどい目にあった野次将軍鈴木章浩都議、セクハラ親父ならぬセクハラ野次で、世界中の女性を適に回した。
 まるで人民裁判にかかった哀れな議員さんといった風情で、並みいるメディアのカメラの前で深々と頭をさげた。
 頭を下げさせた塩村あやか議員も、メディアの餌食となり、触って欲しくない過去が次々と明るみに出てしまった。グラドルとしてスケブラをつけて挑発していた過去、「恋のから騒ぎ」では、付き合った人とのお別れ代1500万円取ったとズベ公ぶりの発言、交際相手には「妊娠した」とウソをついて、反応を試していたという過去まで暴露された。つまり、どつちもどっちなのだ。
 「早く結婚しろ」「産めないのか」の野次にくいついたマスコミにもあきれる。若い女の司会者が許せないといって、声紋検査を専門家に依頼したと、正義の味方づらするのにもどこかひっかかる。
 野次の中身の悪さは自明の理なので、その先、議場における適切な野次の可否やら、発言の出来ない少数派の野次について論じたほうが、はるかに意味があるのではないだろうか。
 許される野次と許されない野次、あまりにお行儀がいいと宗教団体の総会のようになってしまう。植物人間ばかりの都議会はいらない。
 議場には法律論理とともに、ほどほどのバーバリズムもあってしかるべしと、考えるが如何。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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