失った表現は戻らない

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かって役者には役者なりの縄張りがあった。
 歌舞伎役者には歌舞伎役者としての、芸と生きざまがあった。 映画俳優はスターと呼ばれて、銀幕を舞台にした撮影所のなかの独自の世界におぼれていた。 新劇を志した役者は、政治体制を含めた社会への怒りをいつも片手に、革新の精神とともに舞台にたっていた。
 それらのジャンルを総て破壊し平均化してしまったのが、テレビという電気紙芝居だ。テレビは、歌舞伎役者も、映画スターも、新劇役者も一緒くたにして、ガラガラポンと商業化してしまった。原宿で拾ってきた素人にも主役の座を与え、折角東大という最高学府をでた女性もワイドショウのお飾りにした。テレビという伝達手段が、お笑いを中心にすえ、AKBの少女達を金儲けの種にした。
 ジャンルが無くなり、様式のタガが外れたそのさきは、スーパーの安売りの如くに、露出量の多いものがち歌舞伎役者も競って、コマーシャルに出るようになった。
 バラエティー番組という新ジャンルにも、お笑いのみならず弁護士やら進学校の先生が、嬉しそうに出演し、政治家までもが、熱心にテレビカメラに媚びるようになった。
 ペンは剣よりも強し、かっての念仏は、テレビは舞台より強し、テレビはペンより強し、なのだがそのテレビにもいま落日が訪れている。壊してしまった様式はもう戻らない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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