相棒で成功し相棒で失敗した、テレ朝社員の口癖になっているそうだ。
長い間、振り向けばテレビ東京の座に安住してきたのは、それなりの理由があった。教育局としてスタートしたテレ朝は、娯楽局に転じるプロセスで種々様々な権力闘争を経験してきた。
先ず始まりは東映VS旺文社だった。社長交代のたびに社員はスタジオに集められ、新社長のアジとともに金一封のおこぼれにあずかった。朝日が登場してからは東映と外資の三つ巴で権力闘争が繰り広げられたこともある。 今では朝日が安定し、生え抜き組と新聞天下り組が、表面何事もないように働いている。
東映はもくもくと殺しの外注枠を確保して商売している。ここから相棒も生まれた。チームも東映の外注枠からうまれた。つまり東映のスタッフが勉強しなければ、よりよい殺しのドラマは生まれない。大阪朝日放送の制作枠からは必殺仕事人が生まれたが、つい最近のキムタクの宮本武蔵のごとく、嬉しくなった勘違いもある。今期の編成も最大の勘違いだった。みんなテレビを見なくなったことを忘れている。
昨日まで社会の巨悪に挑んでいた朝日新聞の天下りが、口を開けば視聴率と売上げでは、あまりの人間の変わりように社員一同開いた口が閉まらない。ペンからソロバンはそんなに嬉しいのか。報道に対する姿勢など新任の挨拶に皆無なのだ。
かくして玄関から受付廊下エレベーターすべて視聴率だらけの、パチンコ屋視聴率の如き恥ずかしい風景になってしまう。3日天下の後始末を期待している。
テレビ朝日の3日天下
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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