フィギュアと投げ込み花

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 フィギュア・スケートの花形某が滑べり終ってポーズをする。
 と一斉にアリーナのあちこちから花束が投げ込まれる。待ち構えていたかのように、花束集めの子供たちがリンクに滑り込み、みごとに花束を拾い集め、再びリンクサイドに戻って行く。
 花束は大きくもなく小さくもなく、程よい大きさの花束なのだが、よく見るとどの花束も同じような作られ方をしている。ファンというのはこういうところまで心使いをするのかと感心していたが、ある時そうではないことを知った。
 スケート大会には必ず会場の片隅に大会公認の花やが陣取って、投込み用花束を売っていたのだ。いちど投げ込まれた花束の行方も少しばかり気になった。というのは、昔ドサマワリ劇団に密着して取材したことがあったからだ。
 ドサマワリの劇団では人気役者が見栄を切ると、一斉に煙草が投げ込まれた。舞台は煙草で足の踏み場もなくなる。黒子があわてて煙草を拾い集め、袖にひっこむとそのままダッシユしてロビーの売り場に運ぶ。タバコはふたたび整えられて休憩時間の贔屓に売られた。かくして煙草もっぱらピースだったが、なんどもなんどもオツトメを果たし、劇団の収入になっていた。
 今では、どこもかしこも禁煙になつて煙草はキャッシュに姿をかえた。お札の花束やら、万札のレイにかわつた。ドサマワリのシキタリが、フィギュアのシキタリとなった今、キャッシャの投げ込みだけは止めて欲しい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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