團菊祭にお招きをうけた。
團十郎さんが亡くなられて早一年がたち、十二世市川團十郎一年祭と銘打たれている。
春の團菊祭と暮の京都顔見世だけは、60年間見続けている。
劇聖と言われた九代目團十郎の「活歴劇」演劇改良への志と、梨園の花と謳われた五代目尾上菊五郎の「散切物」の歌舞伎ルネッサンスに触れなければ、江戸歌舞伎を論じる資格はないと、学生時代の恩師に指導を受けた。明治の激動期における五代目と九代目の苦労と足跡は夢のまた夢だが、恒例の歌舞伎座團菊祭に足を運ぶことでせめて明治のご維新と歌舞伎の生命力に触れられたらの想いだ。
まず魚屋宗五郎の菊五郎さんの酒乱の芸に圧倒された。明治16年に酒乱の世話物をと五世菊五郎の要請で筆を下した黙阿弥の筋立ての上手さを菊五郎の酒芸が超えていた。團十郎を失って一番悲しんでいた菊五郎の想いが酒に託して爆発した舞台だった。
勧進帳では、次代を継ぐ海老蔵、菊之助それぞれに家の芸をつぐ予感に充ちた演技表現だった。形で華やぐ荒削りな海老蔵の弁慶に対し、菊之助は富樫の内面に迫った繊細な表情を見せた。この二人が、團十郎・菊五郎の大名跡を継いだ時、何年後か、あらためて「勧進帳」を見たいと思った。
團十郎一年祭に想う
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す