テレビ没落の最後の華・テレビ東京

by

in

 「振り向けばテレ東」といわれていたのが今「気がつけばテレ東」に成長した。
 テレ東の強みは、次世代メディアの中軸であるネットユーザーにファンが多いということだ。
 メディア交代期の仇花説もあるが、東京キー局の後追い局として全国ネットワークを組むことが困難で、テレ東のTXNネットは全国六局13都道府県でわずか6000万人が対象視聴者という悲しさなのだ。
 そこでスタッフが考えたのが、制作会社として貧乏なローカル局に重宝がられる手軽な番組を作っていこうということだった。
 「三匹のおっさん」はご近所の悪徳を懲らしめるお手軽コメディだったがテレ東ドラマの人気を不動のものにした。配役をみても北大路欣也、泉谷しげる以外ギャラを払いたい役者は見当たらない。セットもあらかたロケ・セットで無料使用が圧倒的に多い。紳助がいなくなってもほとんど影響のない「なんでも鑑定団」スタジオ制作と地方ロケの組み合わせで、素人の時代屋趣味を見事に組み上げている。
 得意の経済ニュースで既成局の欠点をつき、「ガイアの夜明け」「ローカル路線バスの旅」など、地方局にコツコツと売り歩いて稼いでいるのがテレ東であり、地方局で作れない地方局向け番組を制作している。
 テレビ没落のシンガリを務め、奮闘している「テレビ東京」よ、頑張れ!


コメント

1件のフィードバック

  1. スカイツリーの影響で、軽井沢でも、テレ東が受信出来るゾーンが、
    時々発見出来るのです。
    車のFMラジオを J-WAVE 81.3 に固定して、町を走っていると、時々
    放送が聞こえる場所があります!
    その場所こそが、テレ東が受信出来るゾーンです。
    理由は、 J-WAVE 81.3 もテレ東もスカイツリー発信だからです!
    それに、デジタル放送は、昔のアナログTV、砂の嵐で音だけブツブツ聞こえる、弱い電波でも、立派な画像として再生できるます。
    ケーブルTVに加入していない別荘で J-WAVE 81.3 が受信出来たら
    アンテナを回す価値は充分にあるのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ