試合放棄の原監督はいなくてもいい

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 このところ責任のある人達の現場放棄が続いている。
 理由はそれぞれだが、たくさんの乗客、期待してきた新入生、何万人の観客、を前に責任のある人々がみなあっさりと職場放棄をする。オオヤケの立場、社会の不特定多数を相手にした職業にあるひとには、必ずついて回る責任だし、自分の身に降りかかった事故以外は、責務をまっとうするのが当たり前と考えられてきた。
 ところが自分の息子の入学式についていき、責任ある学校の入学式を欠席した女教師、乗客の命を見捨てて逃げ出した韓国セウォル号の船長、ゴールデン・ウイークに何万と集まった観客を前に、父親の入院に駆けつけて試合放棄した原辰徳監督……みな底辺の心理において共通なものを感じる。
 おおやけの責任よりみな自己都合を優先する。自分の都合であっさり戦線離脱するのでは、そのひとに責任あるポジションはまかせられない。戦場などはもってのほか。
 昔から役者は親の死に目に会えない、といわれてきた。マスコミに働く者もそうだし、医者も患者のまえに自己都合を言い出せない職業だ。覚悟のない責任者がまかりとおっている。
 試合がもつれ、監督が審判に抗議をする。しつこいと審判は監督に退場を命じる。不思議なことに監督が居なくなってからの方が、チームが強くなる。なるほど監督は阿呆なんだなとか、コーチがいればそれでいい、監督はなにもしていないのだと納得することがある。
 このたびの原監督事件もその程度と読み解く方が正しいのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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