涙活という名のイベント

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 婚活に始まって終活に終る。
 そこに割り込んできたのが、涙活。
 涙は思わず流すものでなく、「涙を流す」を目的にしたイベントで流すのが、近頃の都会人のようだ。
 喜怒哀楽…折に触れ溢れ出る感情の発露として、そのなかの哀のなかに涙は属していた。だから結婚式の父親の涙、愛をえた喜びの涙、受験戦争に勝った喜びの涙、試験に落ちた悔し涙、流した涙の数だけ人間に深さができて素敵だという認識があった。
 「涙友たちと共に泣く会」みんな集まって、みんなで泣く会ときいて驚いた。
 涙を流すことによって、心のデトックスを図る。泣ける映画、泣ける音楽、泣ける詩の朗読など、あらかじめ用意された涙のもとによって、みんなで泣くのが目的のイベントだそうだ。ワンレンの女子大性から青山スーツのサラリーマンまで集まってみんなで仲良く泣く。ひとり泣きわめいてはいけない。沢山の涙はストレスを解消して心の混乱や怒りを改善する。
 涙のソムリエなる人は、涙の壺は人それぞれだから、自身泣けるコンテンツをストックして、いつでも泣けるようにして置くことが肝要といっている。泣語家はなぜかブータンの民族衣装を、泣き装束としてきている。泣ける人情噺は五分以内、最後の盛り上がりは泣語家自身が涙を流して感情移入を図る。
 人前を避けてひとり静かに泣くのは流行らない。ついに人間もアンドロイド化したのか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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