赤福お家騒動

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 伊勢神宮おはらい町の先頭に立って、門前町のルネッサンスに尽くしていた赤福の若社長が首になってしまった。
 かって赤福はお伊勢参りのお土産であり、あのノッペリとした餡ともに赤福とはこういうものだと、納得していた。その赤福が大阪でも京都でも東京駅でも買えるようになった矢先、起こったのが製造日改変事件だった。赤福は戦線を縮小し改心し、かなりの時を経て復活した。
 その間、おかげ横丁の建設に力を尽くし、伊勢路の代表的建築物を集め、伊勢みやげの復活にも努力した。
 がここへ来て先代社長との間に齟齬が生じた。先代の想いは恐らく赤福は伊勢の地にあってこその赤福であって、売上さえふえればいいという若い世代の理念に組しなかったと推察できる。「儲かればすべて良し、儲からざればすべて悪」という今時の経済理念に反発した。
 12代社長は77歳の社長夫人つまり母がなった。
 とにかく次世代の若い経営者には拡大の理念が多過ぎる。拡大することが宗教になってしまっている、この辺で立ち止まって現状維持乃至は縮小の理念について考えるべきではないか。「大きくなったから不味くなった」というのは、正直で切実なアンチテーゼなのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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