第一位裁判官、第二位大学教授、第三位新聞記者……第七位国会議員、大学生が成りたい職業の順位だ。
子供のころ学校でよく将来なりたい人の質問を受けた。なりたいの一番はやはり総理大臣だったり、大学の先生だった。なかには変なのも交じっていて絵描きさんとか小説家などというのもいた。しかし概ね成りたい人は頭のいい知的なひとというのが、基準だったような気がする。子供たちにとって総理大臣は頭のいい人の代表で、だから日本をあずけるのだと信じていた。
それがいつの頃からか総理大臣に、頭のいい知的イメージは全くなくなってしまった。
始まりは宇野宗佑という総理大臣だった。花街の愛人に指三本だしてお願いした。三十万、それとも三百万というのが話題になってそれっきり消えてしまった。
次に話題になったのは麻生太郎あたりだ。趣味はマンガだと言い放ち、マンガ博物館を作ろうとした。選挙のときは、秋葉原のオタク相手が第一声だった。国会答弁では、中学生でも読める三文字熟語が読めなくて失笑をかった。
大衆の選挙権力が大きくなるのに反比例して、選ばれる政治家はオバカになり、知的レベルはますます低くなった。オバマ大統領を迎えた安倍首相は、クールジャパンのお寿司でおもてなしをしたと胸をはった。
寿司は鮨といえばいいので、そこにクールジャパンなどとキャッチをつけるのはいかにも成り上がりの頭の悪い政治家そのものだ。首相の顔に電通がダブった。
知性を失った総理大臣
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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