競争社会は死語になったか

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 久しぶりに森の我が家で、談論の時間があった。メディア塾以来のことだ。
 北海道大学大学院で、芸術専攻している鈴木ゼミの皆さんとOBの皆さん、すでに大学で教鞭をとつている人やら、北海道開拓記念館の学芸員やら、金澤21世紀美術館から転じた女性など多士済々なメンバーが、わざわざ札幌から見えた。いかにも北の秀才らしく皆しつかりした若い仲間だった。
 指導の鈴木幸人さんは、10年以上もまえ嵐山の吉兆で歌舞伎芸を披露された粋な学者として、ずつと心のすみにあった。あの頃は大阪美術館に於けるフェルメール展を企画されたり、祇園祭の山車研究をされていた若き学究の徒だつた。
 北大に職を選られてから、無音に何年かの時を過ごしたが、愚論を重ねるこのブログのお蔭で縁が生き返った。天神信仰の権威としての鈴木さんと、芸術社会学を専攻した私との間にどこか通じるものがあった。
 映画、演劇、テレビ、それぞれの時代のメディアに才能が集まり時代を作ってきたが、あの才能の総量は何処へ行ってしまったのか、北斎がいまに生きていたらなにをしたか、目の前のハードに振り回され目標を失っているデジタルな時代の論に花が咲いた。
 競争社会というキーワードが今の世代には死語なのだ、ということに愕然とした。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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