赤飯でお祝いをする

by

in

 ずっとお赤飯が好きだった。1日と十五日には必ずお赤飯が食卓に上った。
 理由は尋ねもしなかったし、そういうものだと極当たり前にお赤飯を食べていた。
がある時、お目出度だからという何気ない言葉に触れてから、そうかお赤飯は目出度い時に食べるものだと認識した。のちに厄除け、魔よけにもなると教えられた。
 今の奥さんはお赤飯を炊かない。赤飯が食べたいというと、とらやさんにお赤飯の注文をする。とらやさんのお赤飯はしっかりとしたお赤飯だ。町のあちこちにある駄餅屋さんのお赤飯と何処か違う。小豆からこぼれた赤の深さが違う。それでも時にコンビニの赤飯握りに手を出す。結構おいしいのだ。
子供たちの入学卒業にいまのお母さん達もお赤飯は炊かない。お祝いは圧倒的にスイーツが多いという。
 お赤飯に込められた、呪術、願いなど、生活にいきる祈り、宗教がなくなったのだ。赤飯と言う伝統的な儀礼食よりも、スイーツの飾り、可愛いデコレーションが嬉しい、時代というべきか、阿呆になったというべきか、これほどグルメ番組が氾濫していても、ほとんどレシピ第一主義、習俗のなかの食について語ると、うざったいと非難されるのかもしれない。
始めて大人のシルシをえた時の、母の心尽くし、お赤飯に託された想いをふりかえって欲しい。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ