便乗の二匹目はいるのか

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 オリジナリティがあれば、便乗しない。
 便乗という行為は恥ずかしい、という想いがあれば、便乗から距離を置いて自立した方向を目指す。いまあらゆる分野で便乗が跋跨している。自身に考える力がないからだろう。
 売れない歌手が東北へ行って、復興支援を看板にしたコンサートなど、善意を利用した便乗商法の典型。五輪以来のお・も・て・な・しブームも、銀座の水商売から地方の温泉まで便乗コピーになっている。
 隣町で第九を歌うから、うちの町でも第九を歌おう。そこには自分の町のプライドもなければ、オリジナリティもない。EUの国歌を田舎の日本人が歌ってどうする。
 最近では、スマイル学園上野アメ横センタービル専用劇場。NHKアマちゃんのロケに使われた同じセンタービルのスペースを利用して、東北のアイドル志願者のメッカにしようという企みだ。芸能情報にどっぷり漬かった東北の少女たちにとって、悪魔の仕掛けそのものだ。御徒町AKBシアターの成功に便乗して、上野アメ横シアターを狙ったアコギな芸能ビジネスと言える。「アイドルから始まる復興支援イベント」というコピーも便乗100パーセントだし、ライブイベント、CD、BR、DVD販売、ラジオ・テレビ出演、写真集雑誌発売というマキエもAKBと全く同じ便乗商法だ。
 柳の下にどじょうが二匹、といわれるが、果たして二匹目は本当にいるのか。
 
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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