お靜さんは、いつも白い割烹着をつけて迎いに来てくれた。
観音様に連れてってくれる、というのだ。本郷西片町から東大のなかを通り、三四郎池を横目に池之端にでる。蓮の花の咲く池のほとりで、ボート遊びに興じる若い男女など見ながら一休み。さあ、とうながされて浅草をめざした。ゴムの通った白い袖口から出たお靜さんの手は、子供心に温かく、ままときめいたりもした。
あの頃の下町のお母さん達は、みな割烹着をつけていた。勝手仕事のときも、近所のお買いものも割烹着だつた。井戸端会議には割烹着がいくつも集まっていた。
きものの袂を托し込んで、白い共布の紐をきちんと結んだ割烹着は、いつも洗い立てで清潔感があり、甲斐甲斐しいという言葉が良く似合った。不倫するお母さんはいなかった。
街角の兵隊さんに贈る千人針のお姉さんも、出征兵士の見送りも、割烹着にたすきを掛けて旗を振っていた。割烹着のころは強い日本だったが、モンペ姿に変わったあたりから敗色濃厚な日本に落ちていった。エプロンのおねぇさんになって、総てはアメリカになった。
小保方さんのおばあちゃんの割烹着で久振りに注目された。割烹着はクールジャパンなワーキング・ウェアなのだ。
洗濯された白い割烹着
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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