踏まれてもついていきます下駄の雪……
懐かしい響きがある。お宮寛一熱海の海岸から湯島の白梅まで、かっての色模様には必ず根っこにあった女のモラルが、この下駄の雪だった。踏まれても蹴飛ばされても離れない下駄の雪こそ、身を修める第一の根性だった。
が最近では、下駄の雪もだいぶゆるくなって、すこし気をゆるめると落ちてしまう。いい例が沖縄名護市長選、なんとしても勝ちたかった安倍内閣を手玉にとり、まんまと基地賛成派の市長候補を落選させた。
ひとえに公明党が下駄の雪を止めたからと言われている。あれほどいっていた消費税一部生活用品の軽減税率を飲まなかった自民党政権への意趣返しといわれる。公明はすねたのだ。
江戸の敵を長崎ならまだしも、江戸の敵を沖縄で執られた。公明党の4000票を自由投票にして、自民党に煮え湯を飲ませた。
この状態をほっておけないと動いたのが、みんなの党対策、腰のふらついている渡辺喜美を手玉にとり、一夜にして責任野党が責任彼女になった。彼女だけではいつ裏切られるか判らない、しっかりと餌を撒き責任彼女にしたてた。自民党はみんなの党と蜜月よと、公明党の心変わりを待っている。
下駄の雪と責任彼女
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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