パソコンもテレビも自由に手に入る今だからこそ、神田ラジオ街に対する思いは大きい。
あの頃情報機器といえばラジオしかなかった。単球ラジオとか、3球スーパーヘテロダインとか、真空管の数でラジオの性能を表わしていた。入門は鉱石ラジオだった。
休みの日に神田へ行った。須田町から神保町にかけて、歩道にラジオの部品をうる露天商が延々と並んでいた。四つの蜜柑箱を足にして雨戸が乗せられていた。その上に部品がぎっしりと並んでいる。
その露店街を行ったり来たりしながら、真空管を選び、コンデンサーと抵抗を求め、ダイヤルを買った。ラジオ部品購入のクライマックスはスピーカー選びだった。 顔なじみの小父さんが、やっぱりタイヤトーンの音がいいよ、などと教えてくれるのがとても嬉しかった。
東京大空襲で家財を失い、ラジオも焼けてしまって、みんな手作りでラジオを組み立てたのだ。自分で作ったラジオから流れてくるニュースや世界の音楽はとても新鮮にきこえた。
ある時、新門辰五郎の伯父さん、つまりめ組の親分から、ラジオを作ってくれ という注文がきた。立派な箱を選び三球式のラジオを組み立てて届けた。 親分の家はアンテナの状態が悪く雑音だらけで、やっとのことで無事天気予報がスピーカーから流れた時は、中学生の背中は冷汗の海だった。
神田ラジオ街の思い出
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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