パリの右岸からシテ島に渡る。パリ警視庁の前を通り過ぎサン・ミッシェル橋を過ぎると、そこはカルチェ・ラタンと呼ばれる学生街だった。だったというのはいまやそこに学生達の姿はなく、多人種の雑然とした歓楽街へと変身している。が、そこにパリで一番小さく短いユシェット通りがある。100mにも満たない路地の中ほど左側に、伝説の小劇場ユシェット座がある。客席僅か96席、戦後演劇のなかで、もっとも注目を呼んだ不条理演劇ヌーボーテアトルの牙城である。パリ第五区にあった6つの劇場のうち、最後まで残ったこの小屋では53年間休むことなく16500回に上るイヨネスコの「授業」を上演している。彼は平凡な日常のなかに孤独や存在の無意味を描き出し、サルトルやカミュ等と共有する不条理を強烈な感性に訴えた。「無給の殺し屋」「犀」「瀕死の王様」など時代へのメッセージを贈り続けた彼は1994年この世を去るが、彼の弟子たちの情熱により、毎晩8時から「授業」は上演されつづけている。隣のクラブでは天井一面に客のブラジャーを収奪してぶらさげ、今夜も乱痴気騒ぎを繰り広げている。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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