秋元梢、菜々緒、佐藤かよ、三人のモデルが集まって、今のモデル業界について語り合っていた。
最近のモデル事情について全く承知していないのだが、そこで語り合っている内容に驚いた。40年前のモデル達と全く言い分が変わっていない。というよりは退化していた。
まず「なんであんなにハーフが多いの。かないっこないじゃん。DNAが根本的に違うし━━━━!!」
判りきったことだ。戦争に負けた時から、混血児の問題は必近のことだった。後に小沢征爾と結婚したベラ、ジュンアダムス、の昔から、プロポーションに恵まれたハーフのモデルと、大和撫子モデルの格差はずっとつきまとってきた。だから大和撫子はプロダクト製品のモデルに徹し、カタログなどを主戦場としていた。ハーフや外人モデルは、クチュール系コレクションなどを舞台に仕事をしていた。より背の足りないモデルは、一般ファッション雑紙、娯楽雑紙などで働いていた。いちいち言い合わなくとも、お互いを見れば、この人は何に向いているか、どのアイテムで仕事をしているか、すぐに判ったし、みなそれぞれに認識し、覚悟してモデルの日々を送っていた。
「すぐに雑誌は潰れるし、新しい雑誌は、読者モデルに変わっている。どうしたらいいのよ」まあモデルの内面を充実するしか方法はないでしょう。業界の悪習に染まらないで人間力を磨いてください、としか言いようはない。「スタジオでメークさんが化粧してくれても、これ私のキャラじゃないし━━━━!!」そんなモデルがいっぱいいました。モデルと役者をはき違えている。モデルという職業は自己表現の場にはなく、デザイナーや商品のために存在する職業なのだということを、くれぐれもお忘れなく。テレビに出たがるモデルか゛増えたのも品質低下の大きな原因だろう。
40年変わらないモデルの言い分
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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