2016年のミニマリスト

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 とにかくモノが多い。
 戦後、モノに追いかけられて暮らしてきた。
 焼跡から立ち上がった我々世代は、当初なにも無かった。鉱石ラジオをつくり、リンゴの歌を聞いた。初めての電蓄で、フルトベングラーの交響曲を聞いたとき、文化とはこういうものだ、とさとった。
 やがて冷蔵庫が当たり前となり、電気洗濯機が登場した。洗濯板のかわりに電気か洗ってくれた。テレビから力道山が登場し、時報とともに精工舎の時計が自己主張した。
 西武の御曹司が、「消費は文化である」と声高に叫び、今シーズンのファッションはこうだとばかり、やたらパットの入ったダブダブのスーツをきせられたり、お尻丸出しのミニスカートが流行した。
 車もトラック・ダットサンからスバル360となり、パブリカが国策自動車となり、やがてケンとメリーのスカイラインからフェアレディ、ポルシェ、ベンツとかさ上げされてきた。
 ボロアパートは団地アパートへ、やがてマンションから戸建てのお洒落な空間へと変わった。
 女性たちは例外なく売りたいほど洋服を抱え、押し入れからはヴィトンのバックが転げ落ちる今となって、ようやく「清貧の思想」、断捨離のミニマリストが登場してきた。
 ものをもたないことの素晴らしさがわかってきたのだ。
 筆者も暮にものを整理する二日間を設定した。事務所のスタッフが奉仕してくれて、古くなった書類やら、役目をおえた書籍の類いを整理した。大きなごみ袋をいくつもいくつも捨てた。
 ようやくデスク周りの風通しがよくなり、一年ぶりに机に向かってキーボードをたたいている。生活のミニマリストは大賛成だが、なんでもコスパを主張する若者には希望が持てない。


コメント

1件のフィードバック

  1. 私も六月の引越しで
    荷物を三分の一は処分しましたが
    持っていた荷物が膨大だったのでと
    新しい部屋が狭い為に
    相変わらず溢れかえったモノにまみれて暮らしております。
    学生時代のものは泣く泣く手放しました…
    服も記念に取っておいたものは処分しましたが
    新居が広ければそのまま取っておいたと思いますが
    片付けられない女です(涙
    断捨離…
    夢のまた夢です。

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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