09にはまった不幸な釜石の中学生

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 どこかのテレビで「釜石に109オープン」と煽り立てていた。
 被災地に09が来てもどうしようもないと思うのだが、15歳の中学生が直訴して、09の支配人が応じたという美談仕立てなのだ。09は宣伝以外の何物でもないのは明白で、09の下品なティーンズ衣料を宣伝するのに被災地を利用するその魂胆も不愉快きわまりない。
 被災地の復興は、コミュニティにとって重要な事案は多々あり、新しい町づくりの基本から、村社会の人々の交流維持にかかわることなど、中学生がいま学習しなければならないことが山積みの筈だ。
 軽薄な09のファッションに興味を持つ中学生は、どうせ溢れるティーンズ雑誌に影響されて浮かれたバカ中学生と読めるが、都市文化の一番悪い部分を、しっかりと教育できない釜石の教師たちと、少女のまわりの家族たちのいい加減さが眼に浮かぶ。
 「被災地からオシャレな少女をめざす中学生」と持ち上げて、それなら中学生の皆さんでデザインをしてくださいという09支配人の媚びた発言にはサラにあきれた。田舎の中学生でもできるデザインなら、プロのデザイナーはやってられない。そんな程度でいいんなら、俺たちは辞めるよと言いたくもなるだろう。
 それをまた美談に仕立てるテレビ局の阿呆ぶり、被災地と名がつけばなんでもかんでも肯定するメディアの見識のなさにはつくづく呆れる。
 ファッションでももう少し地についたファッションがある筈だが、教師たちにその知識もないのだろう。
 かわいい! かわいい! だけのおバカな感嘆詞で被災地釜石の一日がおわっても、復興や町づくりになんのプラスにならないことを大人たちは考えるべきだ。
 このイベントによって、オバカな中学生のお馬鹿度がさらにいちだん上がって、それをカモに商売している都会の悪徳ファッション屋が喜んでいることだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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