祇園甲部の歌舞練場が7年間の時を経て、ようやく新開場を迎えた。
この春の都をどりは久しぶりに祇園甲部のまんなかにもどって、花街の伝統、習俗と密着した「をどり」となることだろう。
歴史ある歌舞練場にそもそも駄目がはいったのは、消防庁の危険建築物だったが、その後海外からやってきた武漢コロナウィルスとやらで、祇園町もほかにたがわず甚大な被害をこおむった。7年間の空白は大きい。
都をどりも、岡崎やら、北の春秋座、南座と浮草のような公演を続けてきた。
とくに甲部の芸舞妓を軸に、家元井上八千代というくくりで成立している都をどりであるから、祇園から離れての公演は意味がない。
歌舞練場、家元、芸舞妓、祇園町のすべてがひとつになった風土のうえに成り立ってこそ「都をどり」のアイデンティティーがある。
さて今年の都をどり、演題は「新華舞台祇園繁栄(あらたなるはなぶたいぎおんのさかえ)」
「ヨーイヤサー」の置唄に始まり、親鸞上人誕生850年の梅の祝い、酒の精猩々の福舞、祇園祭山鉾に196年ぶりに復活した鷹山の祝い、と目出度いことの次々に後半は織姫彦星の七夕、家光の寄進した渉成園の水鏡、そして祇園茶屋座敷での雪見舞から八坂の霞桜へとフィナーレを迎える。
型通りの構成に新しい酒、新しい芸舞妓の評判を楽しむ、日本のトラディショナル・レヴュー……である。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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