「成功は最高のデオドランド。過去の悪臭をみんな消してくれる」「完璧な人間の悪いところは、その美点がうっとうしいところ」…エリザベス・テーラー。
自由奔放で美しく、ハリウッド映画黄金時代を代表したゴシップ女優、それがエリザベス・テーラーだった。すみれ色の瞳に信じられないぼどグラマラスなボディの彼女は、決してセレブなブランドを身に着けず自分流の着こなしで悪趣味と云われ続けたが、いつもエレガントな空気を撒き散らし、モンローのような下品さはなかった。
7人の男と8度の結婚を重ねながら、婚外関係はただの一度もないと豪語していた彼女の初めの相手は、コンラッド・ヒルトン・ジュニア、大金持ち。二度目は俳優のマイケル・ワイルディング。三度目はプロデューサー・マイク・トッド、そして歌手のエディ・フィシャーを経て五回目に最愛のリチャード・バートンと結婚する。リチャードとは離婚・再婚を繰り返し、7度目は政治家のジョン・ウォーナー、ついに最後の8度目の結婚は工事現場の人夫ラリー・フォーテンスキー、超貧乏だった。
陽のあたる場所、雨の朝巴里に死す、熱いトタン屋根の猫、去年の夏突然に、予期せぬ出来事、リズとともに思い出される映画はきりがないが、どの作品もわかりやすくそこにはいつも明解なアメリカ女がいた。
3月23日、79年の人生を閉じた。枕元にはいつもバートンからの最後の恋文「必要、エリザベスというマジツク・ワードを送ってくれたら、いつでも音より早く君のもとに駆けつける。」が置かれていたという。くちなしの花と詩とトランペツトのアメージング・グレースに送られて、リズはロス郊外のフォレスト・ローン墓地に葬られた。「リズと呼ばれるのが大嫌いだったエリザベスここに眠る」。
7人の男と8度の結婚をしたリズよ、安らかに。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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