55年同じ芝居のユシェット座

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 左岸に渡ってすぐ、サンジェルマン・デプレの裏にユシェット通りという200メートルにも足りない小さな路地がある。パリに住んでいる人たちも知らない道幅3メートルほどの雑多な店のひしめく道だ。
 この道の中ほどに「ユシェット座」という劇場がある。80人の定員の客席と5メートル弱の舞台、劇場に付きもののロビーはない。幕間の休憩時間には路地に出て、斜め前の店のアイスクリームを舐めたり、深呼吸をする。
 隣のショウ・パブの入り口には、使用済みのブラジャーが束になってぶらさがり、赤や青のランプが明滅して道行く人の俗情に訴えている。
 1958年この劇場に登場した「授業」「禿の女歌手」という芝居が、世界中の反響を呼んだ。
 それまで筋書で成り立ってきた物語芝居に楔を打ち込んだ。ストーリーを拒否し、言葉の行き違い、思い込みのズレなどを武器に、みごとな人間喜劇を描き出した。
 「授業」は先生と生徒の二人の問答と意識のずれがどんどん拡大して抱腹絶倒、ついには先生と生徒の位置が逆転してしまうという前衛劇、世界の前衛劇の聖地となった。
 今年で一万六千回の上演回数を数え、56年間おなじ作品を上演し続けているギネスの劇場である。
 初演時のマドンナは引退し、未婚のままに生んだその娘さんが同じ舞台を踏んでいる奇跡の劇場なのだ。
 作者のイヨネスコは日本にもきたことがあり、新劇ファンなかでもアバンギャルドな演劇を好む人々の信仰対象になった。当時文学座に中村伸郎という渋い大人の俳優がいたが、彼もこのイヨネスコに惚れ込み渋谷のジャンジャンで「授業」を200回以上上演したが、志むなしくあの世に逝ってしまった。
 こうした人間の内面を抉り出した先進の喜劇を書ける作家は、ニホンには存在しない。
 海女さんの作者とは人間の読みにおいて格が違う。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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