24時間の情事

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 1959年、フランス映画「24時間の情事」が封切られた。
 パリ左岸派と言われていたアラン・レネの監督作品だった。この長編映画はゴダールが嫉妬したと伝えられ、遠いアジアの映画青年たちは羨望のまなこでスクリーンを見つめた。
 彼の仕事に壁はなかつた。ドキュメンタリー「夜と霧」、サイエンス・フィクション「ジュテーム・ジュテーム」、ミュージカル「巴里の恋愛協奏曲」、戯曲の映画化「スモーキング・ノースモーキング」、次々と発表される彼の仕事にインスパイアされた。彼のイメージのなかには全くジャンルとかアイテムの思想はなく、おりおりの関心をそそったものに大胆にチャレンジしていった。
 あの頃の東京では全く考えられなかった。ヂャンルに拘り、そのなかで懸命に創作活動に溺れていた若者には、眼から鱗のシュール・リアリスト、それがアラン・レネだった。
 その後、レネは「人生は小説」「メロ」「恋するシャンソン」などヒット作を生み出したが、ヌーヴェルヴァーグに先立っての彼は、いつもパリ左岸の芸術青年たちにとって神のような存在だった。彼の愛した真っ赤なシャツを真似て、実現不能の世界に挑む若者は絶えなかった。
 師と仰いだアラン・レネが亡くなった。
 ジャンルを殺戮して自由に創れ、と教示してくれたのは、アラン・レネだった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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