巴里を創ったのはジョルジュ・オスマン男爵というのは衆知のことだが、その建設期間が僅か17年という事は意外に知られていない。彼はまずナポレオン三世に近ずき、1852年に土地収用法の改正をなしとげた。重要な点は「個人住宅といえども外観は公共建築物であるから、美観義務を伴なう」「個人所有地の自由な公共収容」であった。かくてセーヌ県知事を手にしたオスマンは1853年「第一次パリ改造計画」をスタートする。不潔なスラム街を美しい花の都に変えようという壮大な計画だった。広場から広場に大通りを通し、リヴォリ通りもシャンゼリゼ通りも幅100mに近い道路と公園の一体化を目指した。地下には馬車が走れるほどの巨大な下水道を造り、西にブローニュの森、東にヴァンセンヌの森を整備し、泥棒たちのたまり場をセレブたちの社交の森へと変身させ、第二次パリ改造計画では凱旋門からコンコルドまでの国家の顔を完成、第三次計画でオペラ座など文化遺産都市としての入れ物をつくって、今日の巴里の基盤を作り出した。ひとりの偉大なる才能と権力が創りだした歴史の贈り物、1870年までの僅か17年間の仕事だった。軽井沢にも小さなオスマンが欲しい。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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