麻耶と三久・媚びる女は嫌われる

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麻耶と三久 媚びる女は嫌われる麻耶と三久  媚びる女は嫌われるー2
 媚びる女は女に嫌われる。そうした女には女友達は少ない。あるいは女友達はいない。
 「小林麻耶」は媚びる女の代表選手だ。そのブリッコぶりは天性の結晶とおもわれる。
 だから主婦層には徹底的に嫌われる。彼女の脳内細胞はほとんど目の前の男にしか反応しない。世の主婦たちは危険の香りを感じ、防衛本能から彼女を避ける。言葉を換えれば、「小林麻耶」は自己中心の田舎娘だから、周りの空気はまつたく読めない。
 自分が無知であること、無教養であることを知らない恐るべき女だ。女子アナとは実にウマい居場所を見つけたものだが、少しでも常識のあるスタッフは近ずかない。うっかり近ずくと自分が火の粉を被る危険があるからだ。
 もうひとりの媚びる女は「夏目三久」だ。
 彼女もまた、みんなが自分を見てくれているという根拠のない自信に充ちている。
 ときに発する上から目線のスローな読みと、視聴者を見据えた自意識120パーセントの態度はあまりいい気分のものではない。
 マツコ、有吉のまえで手を口に当て、身体をよじって眼で媚びる態度は、銀座のチーママのテクニックそのものだ。明らかに浮いている。マツコも有吉も心のなかでこの馬鹿女が、と思ってもオクビにも出さない。
 局のオバカなプロデューサーが、キャスティングしたのだからと、とりあえず上手に付き合っておこう、というのがミエミエなのだ。
 TBSは主婦層に嫌われているこの女で朝のワイドショウを制作しているが、その理由が判らない。
 夏目三久についで、真矢ミキを投入、これまた眼をむいて瞬きひとつせずにドヤ顔のキラワレ宝塚だ。 
プロデューサーがテレビの立ち位置を忘れた三流であることがよく判る。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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