鶴八鶴次郎と京舞と

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 十七世、十八世中村勘三郎の追善興行、新派特別公演を見てきた。
 初めの狂言は川口松太郎の名作「鶴八鶴次郎」新派を代表する芸道物、新内の芸に絡んだ色物である。敗戦間もない昭和25年の演舞場で花柳章太郎の鶴次郎、水谷八重子の鶴八の舞台をみているのだが、当時は男と女のデリケートな感情の襞など判るはずもなく、耳に残っているのは章太郎の江戸言葉と八重子のだみた独特のくどきが微かに記憶のすみに残っている。
 その配役が勘九郎と七之助に変わったが、芸道物にある精進と一途の恋に隠された人間模様を描くには少々荷が重かった。勘九郎の台詞の粗さが気になった。大詰めの居酒屋でのやりきれない切なさを表現するのも、もう少し演出の余地があるように思う。
 そして二番目は北条秀司作の「京舞」、三世井上八千代を軸に井上流の内幕を描く。三世を演じる水谷八重子と四世となる波乃久里子の奮闘公演だ。難儀な井上流の舞をこなすのはお二人の年齢を考えると、かなりの無理難題と思われるが、新派の若手共々頑張っている。
 都おどりの総踊り、京の四季、手打ちと京舞が登場するのだが、手数だけ揃っても、まるで京舞の雰囲気にとぼしい。京ことばと共に舞の雰囲気を伝える難しさを感じた。台詞の間合い、テンポがまるで違う。若い役者の努力は段取りに向かって、京舞の空気に向かっていない。
 偉大なる北条秀司のストーリー展開と舞の構成にも問題があるように感じた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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