うなぎというのは、青汁よりもヴィタミン剤よりも、夏のスタミナ源として信用されてきた。
だから立身出世もうなぎ登り、とうてい成し得ないことをうなぎの木登りと、古来いいなぞらえてきた。土用の丑の日にうなぎを食べるのも、お客さんがきたら、うな重を出前するのも、子供ごころにうれしかった。
パリで少し疲れると、サントノーレ272番地の野田岩に脚を向ける。野田岩はパリに於ける唯一のウナギ料理専門店だからだ。体力を消耗した今年も「野田岩」を訪れた。
今年はは全くウナギの稚魚が取れずいつもの年の100分の一にもとどかないと日本では報じられ、うなぎの値段もうなぎ登りと予想されていた。果たしてパリの鰻やは如何にと、心配しながら木戸を開けた。
鰻の蒲焼き(鰻の重さは調理前の重さです)
梅130gご飯付/16€ 藤200gご飯付/18€ 菊280gご飯付/22€ 楓320gご飯付/26€
お弁当(鰻重、お新香、味噌汁)
鰻重130g/23€ 鰻重200g/25€ 鰻重280g/29€ 鰻重320g/33€
その他 鰻寿司17€ 鰻巻き8€ お新香5€ 枝豆3.5€ もずくの酢の物10€ などもあった。
値段は東京の鰻やに比べ、まあまあのような気がした。
入ったところにいきなり10人程の予約済があり、その向こうならいいですよ、と通された。しめしめとばかり座って320gを頼んだのだが、
となりの予約席にとんでもない一向がやってきた。
日本の選手のくせに日本語がしゃべれない。父はハイチ、母は根室の日米二重国籍のテニス選手。180センチの身長に薄黒い肉がしっかりついている。日本のテニス協会に所属していないにもかかわらず、オリンピック強化選手に指定されている近頃話題の「大坂なおみ」だった。
だらしなく座り込んだ本人のまわりには、コーチの父親、付き添いの母、契約コーチ、アスレティック・トレーナー、コンディショニング・トレーナー、マネージャー、アシスタントとおぼしき一行がどやどやと座りこんで、一気に酸素が低下した。
今のスポーツというのは、一人の素材にこんなに人間が寄生して成り立っている、という標本のような一行だった。
それにしても黒人のスポイル・ヘアであるドレッド・ヘアにし、礼儀作法とは縁遠い「大坂なおみ」っていったい何物、っていう疑問がついてまわった。
鰻の野田岩と大坂なおみ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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