鯨の文化を取り戻せ

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 長崎くんちには、鯨の潮吹きをのせた山車がでる。
 土佐の高知には、昔から鯛車と鯨車があった。
 和歌山のむつみ鯨は二匹の鯨がしっかりと抱き合っている。
 三重四日市には、鯨祭りがあった。
 それほど日本人の暮らしと鯨は密接な関係だった。鯨は日本人のたんぱく源となり、人々は鯨に感謝して暮らしてきた。その鯨を食べる習慣もうすくなり、鯨を供する店も少なくなった。東京でも渋谷には戦後ずっとあるが、新宿や池袋では見かけることもなくなった。
 アメリカ、イギリス、オランダなど主要捕鯨国が、採算上の理由から捕鯨撤退をしたころから世界はきな臭くなった。鯨を生態保存のシンボルに祭り上げた。
 グリーンピースを先頭にシーシェパードなど、反捕鯨ビジネスともいえる文化帝国主義が起こってきた。そこで攻撃目標となったのがニホンだった。鯨保存のデータを無視して、ひたすら日本の捕鯨を血祭りにあげた。日本の進歩的文化人を自負する人のなかには、反捕鯨運動に加担する反日日本人もでてきた。
 捕鯨の必要性はない、とする他民族の食習慣にまで介入する国際機関IWCとはいったいなんだ、という疑念を抱いたまま日本は莫大な経費をはらってきた。牛はたべろ、鯨はたべるな、そんな理屈はない。
 実はその裏には内陸国家や牛肉食中心の巨大産業があり、鯨を牛肉にかえさせるという、国家単位の陰謀が隠されていたという説すら存在する。戦後の日本においては捕鯨縮小と牛肉消費がうまく政策化され、鯨食文化はどんどん小さくなり、牛肉万歳の今日のごとき状況を呈するようになった。
 安倍内閣は決然としてIWC国際捕鯨委員会からの脱退を決断した。海産物には全く興味のない内陸国家を多数引き入れ、調査、統計を無視して鯨は保護しさえすればいい、とする情緒的委員会にいる理由はない。こうした知的判断を欠いた国際機関は、毒にはなっても環境保全には役立たない。
 日本は昔ながら近海捕鯨に徹し、鯨を愛して豊かな食文化を維持すればいいのだ。世界の理不尽なプロパカンダに棹さす必要はない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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