鮎とミサイル

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鮎とミサイル
 2017年……この夏はとても変な夏だった。
 台風は思わぬ方からきたり、熱帯夜が続いたり、軽井沢も御多分にもれずリゾートとはいえない不愉快な夏だった。このままけじめも無く、秋になるのはどうも気持ち悪い。夏の終わりの何かをしようということになって、真田丸のそろそろ落ち着いた上田をめざした。
 鯉のぼりの泳ぐ千曲川の岸辺である。鯉のぼりは5月5日の印ではなく、このあたりは簗場の印になっている。落ち鮎を楽しんで夏の終わりのけじめにしようという魂胆だ。河原の仮設小屋である簗場は基本よしず張りである。だから当然のごとくに暑い。川風のさわやかに恵まれる時もあれば、河原の石の反射にやられる時もある。祈るような気持ちで河原に降り立った。
 鯉西の簗場の軒には雨が降っていた。まわりの真夏の日差しにたいし、簗場の屋根から水を流して涼を演出していたのだ。客はときおり屋根を伝う水音に気をとられながらも、簗場の心尽くしに満足している。
 塩焼き、刺身と順をおって登場する。太った鮎のさしみは歯ごたえもよくしっかりとした味が好評だった。透明な身は南アルプスの水の玲瓏を伝え、川魚の感触を超えている。そして田楽、田楽は豆腐と決めつけている相方は鮎の丸ごとの田楽に少々たじろいでいた。そして天ぷら、さしみのおろした骨もから揚げになり登場した。
 今朝は北朝鮮のミサイル発射に起こされた。よく判らないJアラートなる警報が鳴りつづけていた。北海道から長野まで東日本のほとんどで警報がなった。ピンポイント攻撃の時代にこんな大雑把な警報で大丈夫かいな、あらためて日本という国のノウテンキな様を知らされた。
               ミサイルが 飛べど千曲の 鮎よろし


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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