鬼のパンツについて

by

in

鬼のパンツ.jpg
 今年は2月2日が節分とか。
 その昔は立春、立夏、立秋、立冬と季節をわけて4つの節分があったにも関わらず、いつの間にか、節分は一度になってしまった。
 ところで鬼のパンツは何故黄色いか、について考えてみた。
 たちまちあちこちにウンチクが見つかった。
 そもそも鬼の出入り口は「北東」に決まっていた。通称「鬼門」という門である。この鬼門という鬼の出入り口を十二支に置き換えると「丑寅」の方角に当たる。そこで古来、鬼は丑(牛)の角をもち、寅(虎)の柄の黄色いパンツを履くようになった、というのだ。豆まきにドンキで買ってくるコスプレ用の安いパンツは虎の模様のパンツに限る。
 「鬼はそと…福はうち」となるが、ところによってはそうもいかない。
 「福はうち……鬼もうち」鬼を祀っている神社や、鬼塚さんちや、鬼山さんちは、鬼もうちとなる。
 さらに場所によっては、この豆まきに「ごもっとも、ごもっとも」とすりこ木棒と杓文字の合いの手がはいる。
 浅草の観音様では大きな杓文字を担いだ「ごもっとも様」が鬼の後ろに付く。
「豆」をまくのは「魔を滅す」という言葉合わせに由来するのだ。「鬼滅」ばやりの昨今、「魔滅」まきもさぞ盛り上がることだろう。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ