高齢者の神隠し

by

in

 高齢者が次々と行方不明になっている。お役所は本人確認ののち、年金などの払い込みをする建前だそうだが、同居人の確認などで済ましているケースが多いという。家族が崩壊し、人と人との関係が薄くなっているので行方不明になっても追跡が難しい。それに拍車をかけているのが個人情報保護法なる共同社会否定法だ。近頃では同窓会名簿もつくれない。部活名簿もうっかい造ると、個人情報を開示したと母親が怒鳴り込んでくるという。犯罪を犯して逃げているのか、よほどの財産があるのか知らないが、3人にひとりは、個人情報マニュアがいるという。フレアイ広場と名ずけられた町の広場でそうしたマニュアが集まってマルシェなどひらいているのは漫画にも劣る馬鹿馬鹿しい風景だ。都内最高齢113才のおばあちゃんも所在不明、イギリスのタイムズ紙が、世界一と称していた日本の長寿社会はボロボロだと書いたそうだが、いっそ現代の「楢山節考」でも造った方がいいくらいだ。みずからの生命を悟って、自死する。命の尊さなどという空念仏を唱えてみんなに迷惑をかけるくらいなら、自ら楢山行きを志願して死と向かい合った年寄りのほうがよほど立派だ。ちなみに信州にはオバステ山という楢山節考伝説発祥の山がある。善光寺平を望む棚田の連なる風光明媚の山間の地だが、秋の名月の夜には日本中から吟行の人々が集まってオバステの昔を詠う。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ