高級娼婦の墓に詣でる。

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 「あれが椿姫の墓よ。」あの頃あまり関心がなかった。高級娼婦といわれてもいまひとつピンとこない。毎日ホテルのペントハウスから160年間花の絶えない椿姫の墓を見下ろしていたのだが、いちどもお参りをしなかった。がこの春モンマルトルの墓地に初めて足を踏み入れた。娼婦ではあったが、高潔で美しく優しい薄幸のオトメに興味をもったからだ。16歳から23歳までのわずか7年に華ひらき上流社会のマドンナとなって散っていったアルフォンシーヌ・プレシスの一途な献身に共感した。彼女の遺品にプレヴォのマノン・レスコーがあったというのもうなずける。椿姫を書いたデュマ・フィスもスタンダールもドガもニジンスキーもみなここに眠っている。墓前で髭の意休を袖にし、助六に心をくだいた吉原三浦屋の揚巻を思い出した。25日間は白い椿の花を、体に差支えのある5日間は赤い椿の花を胸元に飾っていたというプレシスの痛々しいしぐさに、彼女を永久財産相続人に指名したスタケルベルグ男爵もアルマンもフランツ・リストもみな恋をしたのに違いない。この日も彼女の墓には、白と赤の椿の花が供えられていた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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