高樹沙耶 大麻草事件

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高樹沙耶 大麻草事件
 当世風に言えば、ユニセックスな雰囲気を漂わせていた女優だった。
 ベタついたところのない、いさぎのいい女優だった。
 浜松から東京に出て、初めて出会った映画「沙耶のいる透視図」で主演を務めた。その時の役名だった沙耶に高樹をつけて芸名としたあたり、迷いのない判りやすい性格だつたような気がする。
 フリーダイビングで45メートルを潜り日本新記録を樹立、さらにW杯では53メートルの記録を残して世界総合2位になったり、並みの女優では到底考えられない能力を身につけていた。
 いかにもの女優臭さがなかったため、脇役として珍重された。
 267話のうち124話に出演していた「相棒」はショックであったに違いない。
 「はじめてのお使い」中、迷路に入りかかった子供の映像に必ず流れる「しょげないでよBaby」の作詞が彼女だったとは、善良な茶の間のファンにとって今回の事件は白昼夢であってほしいとねがっているに違いない。
 真夏に着る麻のきものほど、さっぱりと気持ちのいいものはない。麻で編み上げた横綱の綱ほど立派にみえるものもない。いまではすっかり忘れているが、下駄の鼻緒ももっぱら大麻草の世話になっていた。七味唐辛子の一味も大麻は担当している。そうした産業用大麻に反し、医療用大麻については厳格に管理されているのが日本だ。
 春の参議院選のおり、大麻草検証委員会幹事として登場してきたが、周辺の胡散臭さになんとはなしに違和感を感じた。100回分の乾燥大麻を所持していた「虹の豆・浮世離れ」とは如何なる宿泊施設だったのか、疑心暗鬼はふかまる一方である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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