高尾うかいの凄さ

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 海外からの客人、なんとなく日本に興味をもって来た外国人、なかでも建築家、インテリアの仕事で来日した友人をもてなすには、まずもって高尾の「うかい鳥山」に連れて行った。高尾の山のなかには移築された合掌民家があったし、池庭が創られ、あちこちにある庵にはトラディショナルな農村民家の良さがあり、中央の母屋にはすこしばかりモダーンに演出されたにほんの宴会があった。
 炉辺を囲んだ鳥料理に舌ずつみをうち、仲居さんたちの着物に喜び、合掌民家の藁縄一本で作られた巨大な造形に驚いて、以来すっかり日本のとりこになった友人たちが少なからずいる。
 高尾山といえば、東京の小学生にとっては遠足の第一歩であり、はじめての山だった。あの遠い山のなかにこの国の民俗文化を集約した、広大な料理屋を始めた先先代の創業者は実に先見の眼をもっていた。今のように自家用車で簡単に行ける時代ではない。そのときにあの「うかい」は始まった。
 バブルから空前の不況を迎え、あちこちの花街や料理屋がつぶれ、横文字のフレンチも苦戦しているなか、芝のとうふや・うかい、築地と原宿、そして八王子のステーキ・うかい、高尾のうかい鳥山、懐石のうかい竹亭とみなそれぞれの規模を保持しながら千客万来の日々を迎えている。
 この春、うかい竹亭に最高の食を目指した新しい部屋ができたので、是非というお誘いをうけた。
池庭に面したその部屋は40畳ほどの広い空間に、鍵型にすす竹で縁取られた檜の厚い一枚板がめぐらされた贅沢極まりないカウンターのある座敷で、専用の広い調理場までとなりに造られていた。
 先付はすっぽんの出汁によるユリ根銀杏の入った蕪蒸しから始まり、ふきのとうの白和え、菜の花の酒盗あん、鯛の手毬鮨、鰆のやきものなどの前菜、三種のお造り、焼きかに、海老のてんぷらからお椀、最後のごはんは小柱の山葵和えのかやく御飯の茶漬け、海老味噌の汁、どれをとっても過不足のない料理で至福のときを過ごした。座敷のかべに「美味方丈」と扁額がかかり、高尾山の御前様からいただきましたという、料理長に送られて高尾の山を後にした。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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