香水の街・グラースの思い出

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 カンヌの駅前からバスに乗ってグラースに向かった。 グラースは香水の都だ。
 香水と言えば、マリリン・モンローがまとって寝たという「シャネルの5番」の時代だった。どういう弾みか「夜間飛行」等という香水に出会うとむせて気分がわるくなり、子供ね、と馬鹿にされたこともあった。
 ニューヨークのブルーミング・デール正面には資生堂の「禅」が、巨大なポスターで客を迎えていた。カネボウでも世界に通用する香水を開発するといっていたので、グラース必見とばかりにバスに乗った。
 グラースの街は古い坂ばかりのまちだった。18世紀の貴族の館が残り、昔ながらの香水ブティックがそこここにあった。
 人があまり来ないようにわざわざ道を狭く作ったときいて妙に納得した。香水博物館でマリーアントワネットの為につくつた香水瓶や化粧箱を見、ジャスミンやミモザの花がいっぱいのディオールの花畑をみて、香りに包まれた一日を過ごした。
 グラースでは自分だけの香水を調香してもらってくるのよ、というお薦めに従って、とある香水屋に飛び込んだ。目鼻立ちの整った美しい調香師が、幾百とある精油の瓶からあなたは東洋人だから絶対にこれと薦めてくれた香水はやたらインド臭く、もっと柑橘系の爽やかな香りが好きだと逆らって、ようやくマイ香水にたどり着くまで、一時間ほどのときを費やしてしまった。
 グラースの帰り道はお伽の世界から戻ってきたような不思議な幸福感でいっぱいだった。
 今では巨大な外資が入り込んで、食品香料が中心になり、かっての手づくりの香水の街はすっかり表情が変わってしまったと言われているが、それでも観光客目当ての香水の調香店には、世界中からお上りさんが跡をたたないそうだ。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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