「赤い風船」という僅か34分の短い映画が、カンヌ国際映画祭でグランプリを獲った。1956年。
その短編はフランスシネマ大賞も獲得した。アルベール・ラモリスという監督だった。
ある日少年が赤い風船を見つける。風船と少年は仲良しになり、風船は片時も少年の側をはなれなくなった。学校で勉強しているあいだも風船は待っていた。少年を叱った先生に仕返ししたり、少女の持つ青い風船に恋をしたり、風船は生きていた。ある日ガキ大将どもが、少年と風船を追っかけ回し、石をぶつけ、風船を破ってしまう。その時パリの街のあちこちで不思議なことがおこった。
子供たちの手からいっせいに風船が飛び立つ。風船売りのおじさんからも沢山の風船が飛び立った。風船たちは集まって少年の処へ行いく。少年はその風船たちとともに空の彼方へ飛び立っていった……。
赤い風船はいろいろな夢をみさせてくれた。空をとぶ風船には限りないロマンがあった。
大統領選挙のクライマックスには青い風船と白い風船が降ってきた。パリ祭のバルーン・アーチは三色の風船に飾られていた。
ラブソング・アウォードのファイナルも、風船とともにハートのシンボル・デザインが空に飛びたったら、というデザイン・コンセプトでポスターを依頼した。わずか五つの風船の色でなかなか結論がでなかった。
考えてみると、この国には風船の色に託した文学や詩がとぼしい。遊園地の配りものも、スーパーの売り出しも、ほとんどが風船やのご都合次第で、色彩に個性がない。風船の色まで誰も考えないという粗雑さがまかり通っている。
風船に託したロマン
コメント
1件のフィードバック
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とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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