風俗芸能にたそがれが訪れた

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風俗芸能にたそがれが訪れた
 少女たちを集めて、踊らせたり歌わせたり、その上少女たちと握手させるために、レコードを買わせる。
 東京はおろか、名古屋、大阪、福岡、新潟まで、はては中国まで進出して利益をあげてきた。端的にいえば、少女たちによる風俗芸能ともいうべき業態なのだが、日本人の可愛い願望、少女偏愛の嗜好につけこんだ下品な仕掛けなのだ。
 アキバAKB劇場を頂点にしたこの商法は、アキバの地を少女偏愛のメッカにした。
 アキバに集中するメイド・カフェと称する風俗的カフェを見れば、よく判る。可愛いをひたすら追いかけるお星さまの妖精・スターライト、不思議のくにのアリスをモチーフにした・クラウンティアラ、時空の魔法をかける・クロノスゲート、深夜のシンデレラレジェンド、自由に操れるマリオネット・メイドカフェ… これら少女風俗はみなAKBのバックヤードになってきた。
 ネール、髪型自由、フリーシフト制、制服の買い取り、レンタル料金なし、クリーニング代も一切なし を謳うこれらのビジネスは萌え産業の底辺を支え、その頂点に君臨してきたのが、AKBを中心とした風俗芸能だった。だったというのは、いま明らかに集団少女たちのパフォーマンスは飽きられつつあり、衰退期にはいったといわれている。
 自慢のジャンケン大会もその馬鹿馬鹿しさにきずいたテレビ局は撤退したし、あきらかに少女たちの市場は縮小しつつある。全盛期はCMやバラェティの仕事もたくさんあったが、最近では地方のスーパーやらラジオに依頼主が変わってきた。今年になってすでに10名が卒業してマザー・プロに戻ってしまった。この先AKBで踊っていても希望がもてないということになったのだろう。
 萌え産業、風俗芸能の没落はこの国の大人たちにとって、ロリータ・コンプレックスからの脱却に絶好の機会であるし、文化にとってもシアワセなことである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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