頼る心の行く末

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「人に頼る」のは恥ずかしい。なるべくなら誰にも何にも頼らないで人生を送りたい。
と思って永年、独立独歩の精神で日々を送ってきたが、このところ日常やら、国際情勢をみると頼らざるを得ないのかなとも思う。
 大相撲初場所が終わるや否や、大坂なおみのテニス騒動、そして次は嵐の2年後活動停止問題、芸能スポーツ・マスコミの薄っぺらなリアクションにはうんざりする。
 嵐という5人組がやめるといったら「嵐ロス」と女子アナが嘆いてみせる。本人たち、それも35歳から40近い男たちが、「もうそろそろアイドルを止めて自由な時間を持ってみたい、やめるまでの2年間誠意をもってファンの人に理解していただけめるように努力する、皆さん見守ってください。」と正気でいっている。そこにある幼稚な脳みそと人生観にあきれるのだ。
 本来人間の思想や理解力というのはもう少しましなはずだし、考える力をみな持っている筈だが、この5人のオジサンたちは、わざと馬鹿を装っているとしか思えない。ジャニーズの強引なマネージメント・システムに乗って、メディアに割り込んできたアイドルという肩書のオジサン・グループだということがわかっていない。立川談志流にいえば、「客も悪いが、お前たちはもっと悪い」のだ。嵐のお蔭で、埋没した才能がごろごろしているのが:芸能界というハゲヤマである。ジャニーズというマネージメントに頼り、オバカになってしまった5人のオジサンを見た。
 札幌に「乃木坂な妻たち」というパン屋がオープンした。良く判らない、なぜ乃木坂なのか、店主は乃木坂にあるセレブな奥様たちが集まってくるようなお店にしたかったというが、乃木坂にはそんな場所はないから、あるのは乃木神社だけ。
 パンの種類は「豊潤な妻」2斤サイズ800円、ますます判らない。豊潤な妻という名のパンが美味い訳がわからない。豊潤な妻には毒入りが多くてうっかり食べたら中毒を起こすのがオチである。
 いずれにしてもパン屋のおやじの故なき依頼心だろう。乃木坂といえば若い男女があつまってくるだろう、という下世話な欲望、豊潤にいたっては、キャバクラのキャッチにも等しい下品な発想ではないか。
 流行に頼る、言葉に頼る、そんな頼る心は何処から生まれるのか不思議だ。
 はっと気がついた。原因は日本がアメリカに頼っているから、頼りすぎているからいけないのではないか。基地を頼る。国防を頼る。この頼る心が国民に伝染して、いつも誰かに頼ることが当たり前になってしまったのではないか。
 いっこくも早く断ち切って、ほんとうの独立国家をめざさなければ、この悲劇は未来永劫につづくかもしれない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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