頑張れ! 津軽の跳人たち

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 いまごろの青森はさぞ盛り上がっていることだろう。
 東北の果てに、あの原色にみちたねぶた祭の色彩文化があることは不思議である。
 学生のころ、いつか東北三大祭りを目の当たりにしたいと望んでいたが、いざ次々と登場する青森ねぶたを前にしたとき、江戸っ子の祭りへの認識はなんと薄っぺらなものかと、目の前の津軽の人々の情熱に感動した。
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 ラッセラー、ラッセラー、ラツセラー……
 華やかな山車よりも、無心に跳ねる周りの人々に感動した。
 邪鬼の出現を阻止するために、大地を踏んで固めて出られないようにする。
 そのために無心に飛んで跳ねて祈るのが、跳人たちの役割なのだ。
 近頃はなんでもイベント呼ばわり、すべてが見世物、ダンスイベントと受け取る阿呆も多いが、信仰にねざした跳躍を際限なく繰り返す津軽の魂を見せつけてほしい。
 秋田の竿灯まつりにしても、五穀豊穣を願う稲穂のかたちの竿灯と、人間の技が競って、稲作の困難と喜びをあらわしている。
 米に支えられて生きてきた日本人の生きざまが、祭りの形をかりて盛り上がっている。
 単純に興奮したい人間は、スポーツやらアイドル・コンサートに行けばいい。
 祭りは日本人の暮しそのものなのだ。 
 祭りは宗教をこえた民族の祈りである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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