「日付け以外はみな誤報」と揶揄されてきた東京スポーツ新聞社……が見事に再生されつつある。
新聞が売れるようになったのではない。餃子販売が一億の大台にのったのだ。
本気です!!! ニンニクマシマシ 東スポ餃子 青森県産ニンニク3倍使用 (中国産より青森産は5倍から10倍高い)
第二弾!! 激辛激旨 東スポの島とうがらし餃子
第三弾!!! パリッジュワ! NEW東スポの棒餃子
冷凍餃子界において味の素、大阪王将についで、第三勢力をめざし、東スポ編集局と文化部は奮励努力している。会社がつぶれては元も子もない。新聞界のたそがれに敢然と餃子でいとんだのは見事な発想の転換だった。
さらに追討ちをかけたのは、
第四弾!!!! 希少部位・国産若鳥・肩小肉使用 じわっとジューシー 東スポのからあげ ニンニクマシマシ醤油味
このからあげは金賞受賞とある。
東スポはこの勢いにのって、「東スポ居酒屋・青ノ山」まで開店した。そこにはミス東スポも降臨するとあり、飲み物も 驚愕! アルコール13%の「東スポレモン・サワー」これやばいだろ、いいからのんでみろ! まで用意されている。東スポはこの分野をさらに5億、10億と伸ばしていく覚悟ときく。
まさに起死回生、崖っぷち新聞界に闘魂キックなのだ。朝日新聞が緊急改革を発令してすでに数年たつが、新聞人の自己革命はいっこうに進展していない。毎日新聞も東京新聞もいま改革しなければ、いずれ没落することはわかっていても新聞人の黴ついたプライドが許さないのか、なにも起こらない。東スポという三流紙だから出来たことと軽蔑するまえに、大胆な自己改革こそが新聞人に対する課題ではなかろうか。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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