音羽屋の跡取り、尾上菊之助と播磨屋の四女波野瓔子さんの結婚式が神田明神で挙げられた。
この結婚を紐解くといろいろなことが見えてくる。
まず菊之助の周辺を賑わしていたタレント達が、すべて一掃された。江角マキコなどはすっかりその気になっていたが、結局梨園の女にはなれなかった。柄だけの知花くららにしても同じこと、歌舞伎の世界を芸能界なみに甘く見ていた結果、ふられたということだ。
新婦は中村吉右衛門家の四女として、気難しい父を通して歌舞伎の裏表を見ながら育ってきた。家のこと、歌舞伎ならではのしきたり、そして新郎とは青山学院の先輩後輩、さらに和光での七年間のおつとめで接客ルールなどは徹底的に仕込まれている。かって映画界の大スターだった母富司純子の苦労を知っている菊之助は、結婚相手にリスクを冒さなかった。
さらに穿った見方をすれば、姉寺島しのぶに悲しい思いをさせた、吉右衛門の実兄松本幸四郎家の染五郎に対するリベンジもある。この結婚に今、一番あせっているのは、松本幸四郎・高麗屋だという話がある位だ。
その昔、菊吉ブームというのがあった。先代の菊五郎、吉右衛門のコンビに沸いた評判だったが、勘三郎、団十郎を相次いで失った歌舞伎界にとって、音羽屋・播磨屋の連合軍は願ってもいない好機で、数年後に控えている海老蔵の団十郎襲名、菊之助の菊五郎襲名に花を添えることになる。
聡明で美しく清潔な色気と、品性に恵まれた菊之助の明日には、歌舞伎の未来がかかっている。
音羽屋と播磨屋の結婚
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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