音楽にお金を払わない。

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 I「もう、誰も音楽にお金なんか払わないですよ」M「音楽にお金を払うこと自体がまちがっていたのかもしれない。19世紀の初めに音楽出版社ができ、楽譜というものを売り始めてね」 井上陽水と松任谷由美の対談である。ここでいう音楽とは著作権のことだ。戦後アメリカンな著作権ビジネスが輸入され、音楽家たちはかなり保護されてきた。
 というのは我々の如く「演出」を業とするものには著作権など無いからだ。劇団などが演出を真似する場合でも、参考にさせていただきますと挨拶がある程度、ディズニー作品やブロードウェイ・ミュージカルのごとく、上演著作権を徴収するということはまず考えられなかった。筆者の60年の経験でも上演著作権が何も言わなくとも振り込まれてきたのは、ジャニーズ事務所のミュージカルだけだった。
 がここへきてネットの普及とともに、音楽はダウンロードするものでお金を払うものではない、という考え方が主流をしめてきた。若者達はお金を払うのはライブ、その記念としてタオルやティシャツを買うということらしい。
 アメリカの生産システムが破たんし、世界中に生産拠点が散り始めた時、アメリカは著作権システムをあらゆる分野に広げようとした。15.6年前にはビジネス・モデルに著作権を設定すると言い出し、世界中の商工業者から猛烈な反発をうけた。
 ついこの間までの中国は著作権を認めず、美空ひばりとビートルズが一枚のレコードになっていた。人間がつくった文化を金銭に換算することは出来ないという主張だった。IT時代のいままさに情報フリーとなり、音楽著作権がその矢面にたたされている。
 ミュージカルのアルバム・ジャケットを飾り、遥か外国の舞台に想いをはせて楽しんだのは、昭和のお伽噺になってしまった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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