芸能ゴシップには、K-POPSの話題が溢れている。ギャラが異常に安いので、親が告訴したとか、性的接待を強要され耐えきれなくなって自殺したとか、5人が二人になって来日とか。ポツプスの前は、韓流ドラマだつた。もどかしい位のすれ違いで見事にほんのオバサン達の心をわしずかみにした「冬のソナタ」、太目独身女性の抱える悩みをドラマ化した「私の名前はキム・サムスン」、花より男子の「宮」、等々それと同時に日本に於ける韓流スターがつぎつぎに生まれた。美しき日々のイ・ビョンホン、天国の階段のクォン・サンウ、秋の童話のウォン・ビン、冬のソナタのぺ・ヨンジュン、パク・ヨンハ、ロスト・メモリーズのチャン・ドンゴンといった具合だ。
1988年フジ・テレビが口火をきり、おりからのバブル崩壊を受けて製作費切り詰めの状況にはまつたTBSが続き、さらに音楽業界がS.E.S、BoA、東方神起から少女時代、KARAと拡大した。この韓流ブームには旅行業界も大きく貢献した。冬ソナのロケ地には日本人専用の看板が立ち、韓国での宣伝流通量の10倍のコマーシャルやら印刷物が日本中を覆い、韓国政府国家ブランド委員会の対外文化広報政策と大手広告代理店電通の仕組んだビジネスが見事に成功した。
かくして韓国政府から外国人が受ける最高位勲章「修交勲章光化賞」を貰ったのが、「電通最高顧問」の成田豊氏である。ソールに生まれ育った成田氏の功績は韓国に於いて絶大な評価を得ている。
こうした韓流ブームは決して悪いことではないのだが、注意すべきはこうした韓国のタレント達は必ずしも親日派ではないということだ。母国のコンサートでは、日本で決して歌わない反日ソングを目玉にしてコンサートを開いている。日本のファンが歌も踊りも素晴らしいと絶賛する少女時代の人気曲は「独島はわが領土」、お人好しだけでは済まされない問題が含まれている。
韓流ブームの仕掛け人。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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