鞠子の宿「丁子屋」を目指す

by

in , ,

 学生時代のロングドライブ、東海道…国道一号線をひたすら走って京都へ行く。
 仲間の2台か3台の車とともに日本橋からスタートした。すねかじりの仲間ゆえ、車はせいぜいコロナか、ブルーバード、ヒルマンに乗っていたこ金持ちもいた。
丁子屋.jpg
 第一の中継点は静岡……鞠子の宿、広重の浮世絵そのままの丁子屋を目指した。あの頃の国道は埃まみれ、窓を開けて走れば鼻のなかまで埃に支配された。
 丁子屋に着くも店は開店前、裏の井戸で顔を洗って開店を待つ。暖簾を掛ける前に親切な女将さんが入れてくれることもあった。
 開店前の丁子屋の二階で、年季の入ったすり鉢を前にすりこ木を手に危なっかしく自然薯をすりおろし、出汁でといて麦飯にぶっかける。
 とろろ汁のご馳走は、長丁場の運転の疲れも飛んで至福の時だった。
 あの頃の丁子屋の鴨居には、吉田茂、藤山愛一郎、横山大観など恐れ多い色紙が色あせて飾られていた。
 広重の時代と同じ「とろろ汁」を食すという素朴な喜びがあった。
j鞠子の宿丁子屋広重.png
 次のポイントは浜松の「菜飯田楽」、うなぎなどという贅沢は考えもしなかった。
 グルメばやりの近頃では「菜飯田楽」の声はさっぱり聴こえない。「菜飯田楽」お店は元気だろうか、気になっている。  


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ