道端に小さなバス亭があった。そこから学校に通った。そこから映画も見にいった。
丸いブリキの標識には停留所の名前が書かれ、直径5センチほどの丸い鉄柱に支えられていた。簡単に動かないよう石の重いウェイトに取り付けられていた。
ヤンチャな二、三人の小学生がいつも先頭にいた。そのあとには赤いタイト・スカートのオネェさんが並び、ソフト帽を被ったお父さんはいつも新聞を広げて、バスの来るのを待っていた。あの頃、バスの停留所から一日が始まるような気がしていた。たまにバス停の標識が10メートル程移動していることがあった。悪餓鬼どものイタズラに相違ないのだが、その日は1日中なにかが起こりそうな不安に襲われた。
レトロなバス停は昔語りになり、いまバス停革命が起きている。
あのオペラ座のあるバスティーユ広場に新設された86、87番のバス停が凄いと言う話だ。パリの地図、路線図、到着予告はもとより、夜のお出掛け情報、展覧会、、劇場、レストラン、歴史、文化情報、今日のニュース、求人情報まで、すべてバス停のタッチパネルでできるというのだ。ベンチを備えたひとつのバス停に大小5つの液晶画面が用意され、誰でもが簡単に利用できる。その上、携帯電話の充電器まで備え付けられているというから驚きだ。
パリ市では公道上のすべての設置物に対し、ストリート・ファニチャーという位置ずけでゴミ箱からバス停まで、すべてデザインを一新している。こうしたたゆまぬ努力が世界一の観光都市パリの位置をゆるぎないものにしている。
国境の島やオリンピックへの執念も結構だが、東京を素敵な魅力ある街にするための、エネルギーまたは知性を期待するのは、所詮ないものねだりなのか。
革命はバス停から
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す