青春の名画座が消えてゆく

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 図書館、名画座、古書街…学生時代の楽園だった。 週末の楽しみは、その三択しかなかった。
 総てを失った東京で図書館は赤坂離宮、いまの迎賓館が図書館として開放されていた。荒涼たる焼跡のなかに、赤坂離宮は燦然とたたずんでいた。ベルサイユ宮殿もバッキンガム宮殿も夢のまた夢の時代に、参考書を小脇に赤坂離宮に通った。ギリシャ神話の描かれた高い天井は見上げるだけで、遠いヨーロッパの歴史に抱かれた気分だった。そこで読んだ西洋史の1ページにはリアリティがあった。
 神田の古本屋を巡る日曜日というのもあった。駿河台下から三省堂を避けて裏道に入った。あそこは文芸書、映画演劇ならどこそこのオヤジ、ヨーロッパの女優のブロマイドならどこの本屋と縄張りがはっきりしていて、先輩たちがちゃんと教えてくれた。  歩き疲れると小さな喫茶店で一休み、色あせたランプのしたにコーヒーが運ばれてくると、それだけで大人になった気がした。ささやかな充足感があつた。
 名画座に足を向けるようになると、かなり生意気度が加わってくる。封切のハリウッド映画は、中身もみずに軽蔑する。やっぱり映画はフランス、イタリアでなければならない。北欧映画も捨てたもんじゃない、といった具合だ。複数の作品を安く提供してくれる名画座は学生たちの楽園だった。
 名画座のかび臭さ、名画座で売られていた古いパンフレツトはお宝だつた。どこの名画座にも壊れかけた座席があって、椅子のビロードは剥げかかっていた。フィルムが切れて真っ暗になり、フィルムのつなぎ待ちも再三、その闇のなかで彼女の手をそっと握ったこともある。古い映画を語ることは文化を語ることだった。
 いま建物の老朽化と映画のデジタル化で、あちこちの名画座が幕を閉じようとしている。ゼミをさぼって、一日中名画座で過ごした青春は消えつつある。
 
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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