霞ヶ浦の帆引き船の撮影にいってきた。
帆かけ船として日本最大の船である。幅13メートル、高さ10メートルもある巨大な帆を僅か6メートルほどの小さな舟に掛け、50メートルほどの引綱の先に網を仕掛けて魚を獲る。
風をはらんだ帆がゆったりと霞ヶ浦に浮かんだ風景は日本にあって日本にない風景である。浮世絵や昔絵にでてくる帆かけ船とは、規模がまったく違うし、箱庭風な小舟とも異なる。明治13年に地元の漁民によって考案され、霞ヶ浦に初めて浮かんだのが、この広大な霞ヶ浦の朝ぼらけであったとパンフレツトにある。
この帆引き船による漁法は画期的な漁法でもあった。一世紀近く続いてきたが昭和40年頃から、トロール船に少しずつ取って代わられ、この水郷の風景も消えつつあった。
これにまったをかけ、ご当地の風景遺産として残されたのが、今日の帆引き船だ。
8人も乗ればいっぱいになる小船に乗り、潮風としぶきを浴びながらの撮影行だつた。望遠つきニコンのカメラおじさんに混じって、船底にかじりついてのマスホ片手のお姉さんもいた。
あいにくの天候だったが、いまにも降ってきそうな内海の曇天もまた絶景であった。海と空とが融け込んだグレーのなかに、ゆったりと浮かぶ帆引き船の景色がしっかりと網膜に焼き付けられた。
逗子マリーナあたりのヨットのある景色も悪くないが、この帆引き船の風景こそ日本のおもてなしだ。
霞ヶ浦の原風景・帆引き船
コメント
2件のフィードバック
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地元ですが
肉眼で確認したことはありません。
先生のフットワークのよさに恐れ入ります。
こちらは最寄り駅の新宿駅まで出掛けるのさえ悩む引きこもりです… -
いつも読んでくれて感謝。
帆引き船は日本の宝です。
時間がとんでいます。霞ヶ浦に生きた漁民の心が
あの大きな帆を上げさせたのでしょう。
湖水の文化にはない外洋の習俗を感じました。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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