日本よ、ハリウッドよ、世界よ、これが東北の映画だ。 東ちづる
悲しい人がいる。辛い人がいる。苦しい人がいる。死にたい人がいる。だからラジオが話しかける。 毒蝮三太夫
みんな見事に引っかかった。相手は博報堂という代理店だ。代理店がいかに利益第一のビジネスをしてきたか、ここに好例があった。
一大キャンペーンは代理店のお手の物。南三陸町の「FMみなさん」を舞台に、素人の送り手と仮設に住む70歳のリスナーとの間の感動のドキュメンタリー映画「ガレキとラジオ」だった。博報堂社員の監督梅村太郎は見事にウソとホントを混ぜて自称ドキュメンタリー映画を作った。観光庁、宮城県、南三陸町も見事に騙した。
ひごろ製作委員会という架空組織を作り上げ、映画ビジネスを展開してきた彼らにとって、失っていたモラルがここでばれる、とは思っても居なかったことだろう。
震災と言いさえすればすべて良し、の風潮が蔓延しているがこのへんで根本に立ち返るいい機会だ。ドキュメンタリーの意味も理解せず、震災ビジネスを利用した罪は重い。
建設業などで報じられる震災ビジネスはままあるが、映画を利用したサギは許されない。ボランティアで協力した役所広司も、今後二度と上映されるべきではない、と悲しんでいる。
震災ビジネス・ガレキとラジオ
コメント
1件のフィードバック
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NHKの、特別ドラマ「ラジオ」のコンセプトをトレースした作品だと、思ってましたが、忠実にトレースしたばかりに無理が生じてしまったのですね。
素直に、「ラジオ」を劇場版に再編集すれば、よかったのに!
それが、感想です。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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