何時の頃からか東大生の就職希望の第一位に「電通」が上がるようになった。
第二位にNHK、そしてJTBなのだ。昔は朝日新聞というのがあったが、いまではすっかりメッキが剥げて朝日などと世迷言をいう学生はいなくなった。
が待て、東大出の頭脳優秀な学生は、電通という企業の事業内容を理解しているのだろうか。簡単にいえば、
電通は広告代理業なのだが、広告代理業とはなんなのか、その本質について理解せず表面だけの人気に踊らされて電通志望というミーハー志願者が結構多い。
筆者の経験にてらしても、制作現場への興味だけが大きく、御用聞きとスポンサーの要求に徹することが出来ない、中途半端なプライドに毒された代理店の人間がいた。そうした人間は決まって優秀大学をでたカン違い人間で、一年も経たないうちに現場から消えていった。
さて24才、東大出身の高橋まつりという女性だが、残業100時間をこすブラック体質にこれ以上耐えられない、といつて投身自殺した。この場合、高橋まつりの能力という点が見落とされているのでなんとも判断できないが、情報社会の現場では、制作能力ないし創造力というアングルが重要で、駄目な奴は何時間デスクに座っていてもダメなのだ。
残業時間だけでブラックという判断基準は間違っている。マクドナルドの販売員と根本的に異なるのが、クリエイティブ能力の点でそうしたアングルからみると、彼女は電通に就職すべきではなかった、という結論になる。
かって演出事務所を代表していた時にも、演出がやりたいと希望してくるスタッフはあとをたたなかったが、
カタログ教育のお蔭で入社しさえすれば、演出に携われるといったカン違いが多く難渋した。何年かの修行を重ねなければ仕事は任せられないし、本人の努力の積み重ねしか仕事内容に反映しないのだ。
そうした面から言えば、一般的な労働環境とはまつたく異なる特殊な職業分野が、情報社会には多々存在する。代理店のみならず、テレビの現場などもそうだが、自己の能力を過信することなく、身の丈にあった職場を選択することこそが重要なのだ。うちの息子をジャニーズに入れたいという親と、電通に入りたいという東大生には、何処か共通する甘さがあるのだ。
電通の過労死について
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プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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